Saturday, February 18, 2017

大江健三郎を読み直す(75)大江の世界の広さと狭さ

大江健三郎『恢復する家族』(講談社、1995年)
大江健三郎が文章を書き、大江ゆかりが挿画を描いて、医療関係の財団の機関誌『SAWARABI(早蕨)』に連載(1990年~1995年)されたのちに1冊にまとめられた。
タイトルのとおり、家族がさまざまな苦難に出会い、悩み、時にぶつかり合いながらも、徐々に恢復していく過程を描いたエッセイである。テーマ自体は大江が小説で繰り返し書いてきたことだが、エッセイなので、家族の実体験そのものに即して書かれている。大江の読者にとっては、小説とエッセイの区分けも案外難しいが。
「この間には、私の母の二度の入院、やはり二度の光のCD出版、それをつないでのコンサート、大きい発作の後の光を伴っての初めての海外旅行、NHKテレビ番組『響き合う父と子』の撮影、そして今回の夫の受賞、と家族にとって特別な出来事が次々と起こり」(あとがき、大江ゆかり)とあるように、息子を中心とした家族の現状を報告しながらの思索の数々が示される。
家族以外にも多くの人物が登場する。ほとんどは大江のエッセイの常連だ。医師・森安信雄、経済学者・隅谷三喜男、医師・重藤文雄、医師・上田敏、作家・井上靖、詩人・谷川俊太郎、詩人・大岡信、フランス文学者であり大江の師・渡辺一夫、作家・司馬遼太郎、映画監督・伊丹十三、ピアニスト・海老彰子、作家・堀田善衛、作家・大岡昇平・・・
こうして書き出してみると、大江の世界の広さと狭さがよくわかる。これ以外に、海外の作家や思想家たちとの交流もあるので、大江の世界の比類のない広さは言うまでもない。編集者やディレクター等については特に必要がない限り言及がなく、言及があっても固有名が登場しないので、本当の広がりを読み取ることはできないのだが。
息子のCD発売やそれを記念してのコンサートについてのエッセイはふつうなら「親バカ」の一言で片づけられるレベルのものだが、息子を家族に受け入れ、共に生きることを文学の主題とし続けた大江だけに、随所に深い思いと祈りが込められている。

Wednesday, February 15, 2017

日本は本当に「真実後」なのか?

このところ、「真実後(ポスト・トルース、post-truth)」という用語がさかんにつかわれるようになってきた。アメリカの評論家ラルフ・キーズ(Ralph Keyes)が2004年の著作で用い、2010年頃からアメリカ政治の世界で使われるようになったと言う。それが日本政治にも適用されている。
政治の世界では、真実を語ることは必要でなくなった。政治家に真実を求める文化がなくなっている。虚偽を語っても検証されず、批判もされない。たとえ虚偽を語っても、あれこれとごまかしの弁明が通用する。
 アメリカでは、オバマ政権に対しても用いられたが、何と言っても2016年の大統領選挙において、「真実後」現象が爆発した。2017年に入っても、トランプ大統領は平然と嘘を繰り返す。「オルタナティヴ・ファクト」という珍妙な言葉も流行した。
 日本でもこの言葉を用いる政治評論家やジャーナリストが増えてきた。そのすべてを見たわけはなく、一部しか確認していないが、まともな政治学者は用いていないのではないか。その場しのぎの「おみくじ評論家」が用いている印象だ。
2点だけ指摘しておこう。
 第1に、定義が不明確である。真実の定義自体、もともと流動的である。政治の世界では、それぞれの「真実」を求めて争う歴史がある。
 第2に、日本政治が「真実後」になったという主張は、同時に、日本政治は「真実」だったという主張を前提としてしまうことになる。
 だが、日本政治がいったいいつ「真実」だったことがあるだろうか。明治維新以来の近現代日本政治は一貫して「真実前」だったのではないか。あるいは、「反真実」、端的に言って「虚偽と隠蔽」だったのではないか。
 そのことも踏まえたうえで、「真実後」という表現をするのでなければ、歴史修正主義に加担することになるだけだろう。
 以下は昨年11月にソウルで開催されたシンポジウムでの私の報告の一節。
罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義(3)
<しかし、本報告が縷々述べてきたように、東アジアにおける日本における/日本による戦争と植民地支配の歴史、及び今日に至る未清算の現実に向き合うならば、わたしたちが置かれている状況は「真実前の政治(Pre-truth politics)」ではないだろうか。
 「真実前」と見るか、「真実後」と見るかは言葉の綾に過ぎないという理解もありうるかもしれないが、「真実後」であるならば、少なくとも一度、私たちは真実の世界に身を置いたことになる。近現代日本の歴史を虚偽と隠蔽の歴史と一面的に決めつけることは適切ではないかもしれないが、移行期の正義と植民地支配犯罪論を踏まえて検討するならば、私たちは一貫して「真実なき政治」の世界に身を浸してきたと見るべきではないだろうか。「戦争では真実が最初の犠牲者となる」という警句があるが、150年に及ぶ日本の戦争と植民地支配の歴史(未清算の歴史)を通じて、真実はおぼろげにでも姿を現したことがあっただろうか。>

ヘイト・クライム禁止法(128)ヴァチカン市国

ヴァチカン政府(Holy See, VCS)が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/VAT/16-23. 4 September 2014)によると、主な法源はカノン法である。イタリア法も補充的法源である。ヴァチカンで適用される刑罰の多くは罰金である。刑事施設収容は通例は6カ月を超えない。2013年7月11日に教皇フランシスのもと刑法が改正され、条約第4条に従った犯罪には5年以上10年以下の刑罰が科される。条約第6条に従って、刑法は被害者補償を定める。
2003年、欧州安全協力機構が開催した反レイシズム会議を支援し、各国国内および旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷及びルワンダ国際刑事法廷における人種主義行為への効果的な刑罰負荷を促進してきた。2005年、反ユダヤ主義に関する会議に協力した。2012年、欧州安全協力機構が開催した人種主義と闘う会議を支援した。
人種差別撤廃委員会はヴァチカン政府に対して次のような勧告をした(CERD/C/VAT/CO/16-23. 11 January 2016)。法源によると条約第4条に列挙された犯罪のいくつかが禁止されているが、条約第2条に照らして、人種差別が禁止されていないことに関心を有する。委員会は、条約第2条に照らして人種差別を禁止する措置をとるように勧告する。委員会は、条約第4条に関連して、一般的勧告35パラグラフ12に従って、比較的重大でない犯罪について刑罰を科しているか、そうではないかについて明らかにするように要請する。

「昭和天皇平和主義者」イメージ偽造の手口を暴く

山田朗『昭和天皇の戦争』(岩波書店、2017年)
敬愛する歴史学者の最新刊である。『昭和天皇の戦争指導』、『大元帥・昭和天皇』、『昭和天皇の軍事思想と戦略』において、隠されてきた昭和天皇の思想と行動を解明し、並行して『軍備拡張の近代史』、『近代日本軍事力の研究』で日本軍事史に新たな頁を加えてきた山田は、『兵士たちの戦場』では「体験と記憶の歴史家」にも挑んでいる。すごい理論的生産力に脱帽あるのみ。
本書の副題は「『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」である。2014年に一般公開され、2015年から出版されて、現在も進行中の「昭和天皇実録」全60巻について、メディアはその内容を横流ししてきた。いくつかの著作が出されてきたが、横流しのものも少なくない。批判的に検討した著書もあるが、あまりにも大部であるため、総合的な検討はこれからである。山田は「昭和天皇の戦争」に絞って、検証している。その問題関心は、「昭和天皇実録」が、何を収録し、何を収録しなかったか、である。
「『実録』において書き残されたことは、疑いのない史実として継承されていく反面、そこで消されてしまったことは、無かったこと、不確実なこととして忘れ去られていく可能性が高い。」
特に「平和主義者としての昭和天皇」という悪質なブラックジョークがすでに幅広く流布している。「実録」もそのイメージ強化に向けて総力を注いでいると言っても良い。山田は「大元帥としての天皇」について、「国務と統帥の統合者」という局面と、「政治・儀式」の局面に着目して、残されたことと、消されたことを確認していく。その上で、昭和天皇の戦争について、満州事変期、日中戦争期、張鼓峰事件と宣昌作戦、南進と開戦、そして敗戦に至るまで、「実録」の記述をていねいに点検していく。
結論として、「過度に『平和主義者』のイメージを残したこと、戦争・作戦への積極的な取り組みについては一次資料が存在し、それを『実録』編纂者が確認しているにもかかわらず、そのほとんどが消されたことは、大きな問題を残したといえよう」と述べる。
予想通り、「実録」は、少なくとも昭和天皇と戦争というテーマに即してみるならば、歴史偽造の書というべきだろう。歴史家や歴史教師だけでなく、多くの市民が本書を読むことが望まれる。

Monday, February 13, 2017

大江健三郎を読み直す(74)大江唯一のファンタジー・ノベル

大江健三郎『二百年の子供』(中公文庫、2006年[中央公論新社、2003年])
両親が不在の時期に故郷に滞在した3人の子どもたちがタイムマシン(シイの木のうろ)にのりこんで、過去に移動して故郷の伝説の人物メイスケさんに出会ったり、103年前のアメリカへ、あるいは100年後の日本を訪れる。大江自身の家族をモデルにし、3人の子どもも大江の子どもたちに相当する年齢と個性の持ち主である。
SFジュブナイルとして格別の特徴があるわけではない。タイムマシンものとしては、シイの木のうろをタイムマシンに、というのはそれなりのアイデアかもしれない。木のうろの話は大江自身の少年時代の体験として何度も語られてきたことでもある。SFであることに意味があるということではなく、子どもたちがそれぞれの時代、それぞれの場所で、悲しい出来事に出会い、苦難を乗り越え、勇気を奮い起こし、友情を確かめ合う、そのプロセスを提示することに意味がある。
本書の後に、大江は子ども向けのエッセイ集を2冊出している。全部で3冊というのはむしろ少ない印象だが。

Wednesday, February 08, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(91)ダーバン宣言とは何か

前田朗「植民地主義との闘い――ダーバン宣言とは何だったのか」『社会評論』187号(2017年)
一 はじめに
二 ダーバンへの道
三 ダーバン宣言の概要
四 ダーバンからの道
<ヘイト・スピーチと闘うために>というタイトルでの連載5回目である。2001年に南アフリカのダーバンで開催された国連人権高等弁務官主催の人種差別反対世界会議で採択されたダーバン宣言の意義を再確認した。
1980~90年代の国連の人種差別との闘いの集約として、人種差別反対世界会議が招集された。アパルトヘイトを終わらせた南アフリカのダーバンである。アパルトヘイトの原型はダーバン・システムであった。それゆえダーバンでの開催となった。国連、各国政府、NGOが大挙してダーバンに集まった。数は不明である。1万を超える人権NGOと言われていたと記憶する。日本からも「ダーバン2001日本」という名で集まったNGOが十数名参加した。
ダーバン宣言は、人種差別の根源として植民地支配、植民地主義に焦点を当て、「植民地支配時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と認定した。ヘイト・スピーチに関連する条文も多数ある(ヘイト・スピーチという言葉は用いていないが)。
ダーバン宣言は2001年9月8日に採択された。ところが、3日後の9.11のため、世界は暗転した。「テロとの戦争」が人種差別を極度に悪化させ、21世紀は国家主導の人種差別が噴出する時代になってしまった。国連人権理事会では、その後もダーバン宣言のフォローアップの努力を続けてきたが、先進国(その多くが旧宗主国)側のサボタージュにより、進展がない。日本政府もダーバン宣言に背を向けたままである。
ヘイト・スピーチがいっそう悪化し、これへの対策が始まったばかりの日本では、ダーバン宣言の意義が大きい。ダーバン宣言に立ち戻って、課題を探る努力が不可欠だ。
ダーバン宣言及び行動計画の全訳は下記にアップされている。




ヘイト・クライム禁止法(127)エジプト

エジプト政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/EGY/17-22. 30 June 2014)によると、エジプトは平等の権利の保護と差別の禁止をしており、雇用、教育、NGO及び報道に関する法において犯罪としている。2006年の刑法第176条は、人種、出身、言語、宗教又は信念に基づいて集団に対する差別を煽動し、その煽動が公共の平穏を侵害する場合、刑事施設収容に処することとしている。教育課程の発展のための規則と基準は、国際的な人権概念と基準をカバーする文脈で社会的教育を保障し、差別を拒否している。現行法をさらに改正する試みが進んでおり、差別行為、憎悪の煽動、人間からの強制搾取、すべての携帯の人身売買を犯罪化しようとしている。
人種差別撤廃委員会はエジプト政府に次のように勧告した(CERD/C/EGY/CO/17-22. 6 January 2016)。刑法第176条は人種差別を犯罪とするよう改正されたが、平穏侵害のあった場合に限定されている。委員会の一般的勧告35に照らして、刑法を、条約第4条に従って人種主義的ヘイト・スピーチをカバーするように改正するよう勧告する。人種的優越性又は憎悪に基づく観念の流布、人種的民族的差別の煽動、人種主義団体の設立や援助を禁止するべきである。犯罪の人種的民族的動機を刑罰加重事由とするべきである。